メメント・モリの意味とケ・セラ・セラ(旦那エッセイ)

あなたはラテン語のメメント・モリの意味を知っていますか?
死を考えさせられる言葉です。
そこから今日は、旦那が想うことをまとめてみました。

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メメント・モリの意味は?

一度はメメント・モリって聞いた事ありませんか?

直訳すると「死を想え」「死を忘れるな」となります。
人間いつかは必ず死んでしまう、と。

元の使い方は「今を楽しめ!」
「明日死んじゃうかも知れないから、今日は呑めや唄えや!」という感じです。
ひらめきイメージ写真

それがいつのまにか、
ペストの大流行が発生し、
中世の宗教家たちの「盛大な中二病」の元、おかしな方に向かい、
生と死は表裏一体なんちゃらとなって、
死体モチーフの墓つくってみたり、
骸骨と貴婦人の絵を描いてみたり。

そして、大きな恐怖は自称宗教家の飯の種となりました。

旦那とメメント・モリ

私はガンを経験して、正に「死」を想わざるをえなくなりました。

それは、恐怖と共にとても身近な存在だと気づかされました。

私は死事を考えました。
自分は世の中に何かを残したのか。
何かやれる事はないのか。
孤独な写真

自分の死とはなにかと、私の中二病も発揮。

世界規模で考えると、砂の一粒程にも及ばないどうでも良いこと。
日本で考えると、やっぱりどうでもいいレベル。
東京都、誤差にも届かない。
地域、誤差レベル。

友人、数人が時々思い出してくれるかな。
家族、泣いてくれるかなー?さすがに。

ヒュー!中二病フル回転ですね。

それなら、生きている限り、
家族を泣かせない努力をしよう。
家族のために精一杯のことをしよう。

大きなくくりで自分を見ると、本当に何もない。
それなら、自分の届く範囲でできることをしよう。

今の自分の能力に無理な要求をしないで、
小さなことでもいいから、
家族のために何かをしようと思ったのです。
綺麗な空写真

だって、何か大きなことができるまで、
自分が生きているか、わからないんだもの。

そして、それは親より先に逝ってしまうかもしれない
自分への免罪符でもありました。

しかし、見事完治して、
大きなことができうる年齢になりましたが、
残念ながらまだ小さなことしかできておりません、ははは。

それも、よし。
それが私ですもの。

とにもかくにも、ケ・セラ・セラ(なんとかなる)。

今日できることを今やるだけ。
明日は明日考える。

でも、明日は今日の続き、
今の積み重ねが明日なのですから、
それでいいのです。

明日は指針だと思っています。

明日ばかり見ていたら、明日がきたことに気がつかないですからね。
でも、時々確認することは大事だと思います。

不安のつかいみち

不安て嫌ですよね。

不安なんて無くなればいい!
って、思うのですが、
そんな不安にも生きるための役目があったのです。

人(哺乳類)は長い間、圧倒的に補食される側でした。

プロトゥンギュレイタム・ダネーなんていう、
ネズミみたいな奴から進化してきたんです。
本の写真

ピンチといえば生命の危機です。
恐竜や大きな虫に襲われることも多かったと思います。

反撃は決死の覚悟でしょう。
何にしろ、小動物は瞬発力が生命線です。

不安とは強いストレス。
元はといえば、ピンチを乗り切るための準備なわけです。

不安になるとホルモンの作用で
心拍数を上げて、いま必要としない内臓の機能を低下させ、
その分の血液を手足に巡らせて瞬発力を得るのです。

ピンチを脱するために、火事場の馬鹿力をだす準備中って感じですか。
ごちゃごちゃの画像

だから現代になって、不安の原因が変わっても、
その場から脱するため(ストレスの無い所)に
心が働くことは致し方がないと思うのです。

私なんか人前で話すとか苦手なんで、
はい、スピーチして
なんて言われたら、
一瞬でストレス過多になって
膝ガックガクで吐き気を催すこと必至です。

それなのに、今度ISOの担当になったので
色々と人前に出なきゃいけないのが苦痛です(笑)

んー、ストレス!って感じ。

何せ、深い所では「生命の危機だ!」と同じ行動原理が働いてるんだもの。
仕方ないです。

あー、逃げたい。
アクションの画像

本来なら危機を脱するために必要とされた機能が
暴走気味なのが「不安が続く」という状態かな。

不安の昔良かった点と今良くない点ですね。
言わば、不安の2つの顔です。

なんで不安を感じてんだろ?
って思うことがあったら、
プロトゥンギュレイタム・ダネーからの系譜かぁ
なんて思ったらちょっと気が楽かも知れません。

プロトゥンギュレイタム・ダネー(言いたいだけ)

大きな目標の表と裏

【表】

大きな目標を持つということは、
自分の歩いて行く方向を決めてくれます。
目標に邁進!
とか、なんか格好いい感じがします。

【裏】

でも、霞むほど大きな高い目標を設定してしまうと
ガチガチで身動きが取れないことにもなりかねません。

「何がなんでもやらないと」
なんてなってしまったら、
結果にたどりつくための手段が、目的になっていきます。

ただの一本しか道が見えなくなって、
その道をがむしゃらに進もうとします。
選択肢の画像

そうなると、願い通り目標に着けたとしても、
燃え付き症候群になるかもしれません。

私の兄がそうでした。
中学の頃、進学校へ行くため、
毎日3~4時間の睡眠以外は勉強していました。

私達は1つの部屋をカーテンで仕切った部屋にいました。

私は眠るために布団に入っているのですが、
何せ、兄がラジオを聴きながらカリカリ勉強しているので、
寝苦しい寝苦しい。

私が寝返りを繰り返していると、
「うるせぇ!」

ひい、おまえの方だよっ!

兄は、見事進学校へ入学し「東大確実」とまで言わしめましたが
高校入学をした時に兄の中で燃えるものは、
無くなっていました。

結局、手段が目的になっていたわけです。

適度に息抜きや他の道も用意しておけば、
兄は今頃、官僚にでもなっていたかもしれません。

家に帰るまでが遠足です!

目標はたどり着いてから
維持できるか、次の目標を立てられる余裕がないといけません。

道を細くするのも、太くするのも、
1本道になるのも、2本3本と増やせるのも、
考え方、捉え方次第だと思います。
選択肢の画像

その後、私の兄はトップ入学から下位グループでの卒業、
一浪して、私学へ入学です。

東大確実から大分変わりました。

私としては「後」の兄のほうが、
人として付き合いやすいので歓迎です。

健康などでも
タモリさんが良いことを言っています。
「健康のために死ねる」
素敵な言葉です。

実に皮肉♪

健康!健康!
なんて健康にとらわれてしまうと、
健康が目的になってしまいます。
寒暖差の画像

健康は質の良い生活のための手段の1つです。

気持ちの良い毎日を過ごすため、
身体を気遣っているうちに、
手段が目的になってしまっては本末転倒。

なんでも程々がいいのです。
この世の中、完璧なんて無いのですから。

明日のために、今できる手の届く目標をこなして、
視野や思考を固定しない様に、柔軟に構えることが、
私は大事だと思っています

ケ・セラ・セラ~。

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